ポーカーの潜在力について
こんにちは。こんばんは。フィッシュかもです。
ご無沙汰しております。皆様如何お過ごしですか。
こちらは今2021年1月8日(金)20:38
夜ご飯用に煮干しで出汁を取りつつ、短冊切りにした人参と大根を煮込み終えて火を止めたところです。
ふと記事を書こうと思うに至ったので久しぶりに「記事を書く」ボタンを押しました。
とはいえ、特に書きたい内容があるわけではありません。
生存報告を兼ねて徒然なるままに書き連ねようという試みですね。
というのも、年末に桃鉄の配信をした際に、ブログを再開してくれというコメントをいただいたのです。有難いですね。
(その方は飯画像をご希望だったので、またそのうちポーカーと飯テロで記事を書いてみようかと思います。)
さて、今日は何について書こうか。
まず最近考えていることは、ポーカーって啓発に使えないかなってことですね。
ポーカーって互いの手札が見えない不完全情報ゲームじゃないですか。だから、相手の手札や相手が考える自己の手札を決め打ちせず、レンジとレンジの戦いとして考える必要がありますよね。
そして、レンジ全体を通してバランスの取れたアクションになっているか、又はどこまでバランスを崩したアクションを採るべき相手かあるいは採ってもよい相手か考える練習になると思うんですよね。
また、ポーカーは確率に基づいた状況変化があるので、偶然の結果に左右されない分析力と精神力を養う練習にもなるんじゃないかなぁ。
それにポーカーは1ゲームがとても短いから、時間当たりの経験量を増やしやすくて、その経験則に基づいた戦略変化の応酬に馴染みやすいんですよね。
なので、これら3つの特徴を有するポーカーで生存し続けるためには、感覚的場当たり的な判断に頼ることは難しくて、論理的推論又は統計的手法に基づく必要が生じてくると思うのです。
で、この論理的推論と統計的手法に基づく判断方法って、ポーカー以外にも役立つことが実は多いんじゃないかなって思うんですよね。
何かを判断して行動に移すこと。それってポーカーのアクション判断と似ているし、根拠乏しく決め打ちしてハイリスクローリターンな行動をしている人、不運に感情の制御を奪われている人、幸運を実力と勘違いしている人って少なからず存在している気がします。
そういうレンジに対してポーカーを然るべき方法でお伝えすることによって、その人の別の活動領域に役立つこと、ひいてはよりよい社会につながらないかなって思うんですよね。
もちろんちゃんとノウハウを伝えられるという前提でのお話ですが。。。
そんなわけで、かもは2020年8月から近くのお寺で競技ポーカーの指導を始めてみました。アダム・グラントのいうギバーに対して、テイカーから身を守る練習にもなるんじゃないかと思って。
その様子は撮影して、編集して、YouTubeにも公開し始めています。
コンテンツとしてのクオリティはまだまだですけどね。誰しもできない状態から始まるので、試行錯誤を続けて向上させていこうと思います。
一緒にやってみたいという方はどうぞご連絡ください。歓迎します。
ご年配の方が集まるところにも福祉として競技ポーカーを導入してみたいんですよねぇ。
井戸端会議の場所としても機能すると思うので、医療機関の待合所が井戸端会議の場所から解放されることで医療費抑制につながったりしないかなとも思うんですよね。
指先使うからボケ防止になったりとか。
まぁ小さくとも行動に移し、発信していこうと思います。
宜しくお願いします。